19年前のこと

 大学受験の頃の懐古談など〜。

高校時代

 現役時代に通っていた武蔵高校は,学年の半分くらいが東大に進学する学校でした。僕も部活やクラスのみんなと同じ東大への進学しか考えなかったのですが,強い志望があったというよりは「みんなと同じでいいか」という考えが近かったかもしれません。まあ,環境がそうさせた,ということでしたね。受験期には予備校や塾に通いましたが,少人数制で特色のある授業編成の学校で育ったせいか,大教室授業の大手予備校に苦手意識を持っていた僕は,部活の友人達と共に渋谷駅の近く桜ヶ丘あたりにあった小さい学習塾*1に通うことになりました*2。かすかな記憶をたどると,これは高2秋のこと*3。それまでは,部活と学校行事に明け暮れる高校生でした。駿台代ゼミ河合塾の3大予備校でいえば,河合塾のグリーンアカデミーという現役高2生対象の夏期講習に一度だけいったことがある記憶です*4。wiseでの日々は楽しかったですが,その年度の東大受験には失敗し,浪人生活がスタートしました。
 ただ,このころから,自分の勉強スタイルが分かりかけてきたような気がしています。予め絞り込まれたものを整然と飲み込むのは苦手で,雑多な情報の中から取捨選択を行う過程が必要なタイプであることに気がつきましたから,浪人したことにも価値はあったかなと思っています*5

浪人時代

 駿台予備校のお茶の水校5号館*6に通っていました。東大文系の少人数コースがここで開講されていました。情報収集に明け暮れていた僕は,駿台5号館を根城にしつつ,代ゼミ河合塾にも出没し,模試を受けたり自習室を利用していました*7。また,心身の健康も大切と考えた僕は,予備校でも積極的に友達を作るようにし,勉強の合間にとりとめもない話をして気を紛らわせ*8千駄ヶ谷にある東京体育館のプールとジムに通って定期的に汗を流していました*9。このように,受験生としてストイックに勉強しながらも,なんだか楽しいライフスタイルができあがり,充実した1年を過ごしました。その年の受験では,色々失敗もしましたが,なんとか後期試験に合格することができました。

その後

    1. 試験に合格するとその後しばらく弛緩する,というパターンをこのころ確立*10
    2. 自分の過去を振り返るのは微妙にこそばゆい感じな作業であることには,今,久しぶりに気づいているところです*11

勢いに任せて夜中に書いていますが,そのうち編集するかも。おやすみなさい。

*1:wiseワイズという名前でした。某有名塾カリスマ塾長の兄だという噂の人物が,数学から現代文,社会まで全部教えるという塾で,独自色の非常に強いテキスト,授業,テスト,採点基準を用いていました。特に現代文に対するこだわりが強かったような。山崎正和とかたくさん読まされた。

*2:当時ウチの高校では,大手3予備校よりは,鉄緑会,SEG,平岡塾などに通っている生徒が多かったです

*3:それまでは,中学3年頃から下北沢にある土筆ゼミナールという塾に通っていました。週1〜2日くらいで補習なのか受験勉強の準備なのか微妙な感じでしたが,手作り感のあるいい雰囲気の塾でしたね。そういえば,今も時々連絡のある鷲崎君に出会ったのもここでした。元気ですか〜。>鷲崎君

*4:これが駒場校だったと思います。小田急線の最寄駅は東北沢ですよね

*5:9割方負け惜しみですけど

*6:駿台予備校お茶の水校舎群の中では最も西側に位置し,どちらかといえば水道橋駅の方が近いくらいでした。総武線の線路沿いの鉛筆のようなビルですが,今でもあるのかなあ。。。。

*7:河合塾なら池袋校だったので,MKさんの駒場校にはあまり行かなかったかもしれません。

*8:当時知り合った友人達は今でも大切な人間関係です。

*9:当時は167センチ,59キロ。ジーンズも29インチを余裕で履いていましたから,今から思えば一番戻りたい体格です。

*10:中学入学後,司法試験合格後にも同様の現象が,,,,。でも,2回試験合格後は,仕事に就いたためさすがに弛緩していなかったです。少なくとも自分ではそう思っていますが(汗)。

*11:小学校6年生で作文した「生い立ちの記」でも似たような思いを経験したかも。あ〜はずかし