完全黙秘の男

 逮捕から完全に黙秘を貫いて執行猶予判決を受けた被告人が報道されてましたね。珍しいと報道されてましたが、本名が分からない被告人はそれなりにいるもので*1、捜査の最後まで何者か分からない場合もあるみたいです。山形地検で検察修習をしていたときも、「別添写真の男」という特定方法で起訴したケースがありました。身元も経歴も不明ということは、執行猶予中の再犯なのか、そもそも執行猶予が法律上つけられないケースなのかの判断も事実上できないわけですから、検察官や警察は出来る限り被告人の特定に努めますが、限界があるみたいです*2。自分が何者であるかということを推知させない状況で生活するというのは結構難しく,自分が自分であることを発信する(伝えたい)というのは、根元的な欲求のような気がして、それを一切しないというのはつらいことのように思うのですが,この元被告人さんは必ずしもそうではなかったようです*3
 しかし、釈放後、報道陣に追われながらやはり何も語らず、河原に蹲り、膝の間に頭を沈めて動かない元被告人さんの姿を見て、「ああ、この人にとっては、ただ裁判が終わったってだけで、いつもの日常が戻っただけなんだろうな。裁判の前と後で何も変わらないのかもしれない」と思わざるを得ませんでした。この事件の国選弁護人も何とか心を開いて欲しいと、努力したのではないか、と思います*4。裁判が何らかの感銘力を持つのでは、、と思うのは、法曹関係者の思い上がりかもしれませんが、私なんぞは、裁判で非日常的な環境に置かれ、普段接しない人と交流するなかで、何かを感じとって前向きになって欲しいと思うものなのです*5
 ところで、この元被告人さんですが、完黙するだけの精神力があれば、どんな苦境も乗り切れそうだし、どんな仕事だって頑張ってくれそうな気がするんですが。なかなかその気にならないんでしょうか。少しもったいないな、という感想もあったりします。

*1:外国の方とか身上経歴を詐称する人とか

*2:つまり、実刑になるべき人が、執行猶予になったりしているケースもあるかも知れません

*3:僕が喋りたがり屋だというだけなのかも知れませんが

*4:結局、何も語らず、裁判を終えたので、今は虚しい気持ちでいるかなと思いますが

*5:特に僕は感情移入しがちなタイプなので、なるべくドライに割り切るように努力しているものの、なかなかそうは出来ない現状です