嬰児殺

 殺人にも色々なカテゴリーがありますが、被害者の属性に着目すると、尊属殺*1とか嬰児殺といわれるものがあります。最近は、若い親による嬰児殺のニュースが多く、気持ちが暗くなりますね*2。それで思い出しました。
 僕のつたない刑事弁護経験の中に嬰児殺事案がひとつありました。大人が被害者になった事案と違って、閲覧した事件記録からは何とも言えないグッとくる何かが発せられていたように思ったものです。司法修習生時代に見学した司法解剖や、弁護士になってから経験した被害者死亡事件などを通して、「この手のことに対して自分は割と冷静だな」と感じていましたが、この嬰児殺事案で、それが勘違いであったことを思い知らされました*3
 自分に子供が生まれていたこともあり、子供という存在に対して修習生時代とは全く見方が変わってしまったこともあるように思います。かつて、僕から見た子供はいわば過去を投影した存在でした。自分の通ってきた道を想起させる、自分の後ろ暗いところを連想させる、そんな存在でした。しかし、今は、子供から受け取る印象は、未来の気配とか将来の可能性といった事に変わりました。子供の明るい未来とか将来とかそういったものを自分のアンテナが勝手に感じてしまうのです*4。おそらくは脳内変換に過ぎないのだろうと思いますが、年を重ねるというのはそういうことなのでしょうか。

宮崎の新生児遺棄:殺害し冷蔵庫に隠す 容疑の夫婦、再逮捕−−宮崎県警
 (前略)2人は「生活が苦しかった」と容疑を認めている。調べでは、2人は共謀し05年5月28日ごろ、当時住んでいた宮崎市内の自宅で、和美容疑者が出産したばかりの女児を胸に抱いて窒息させ、殺害。女児を冷蔵庫内に隠した疑い。2人は「産んだら殺そう」と事前に話し合っていたという。(後略)【小原擁】
毎日新聞 2008年1月22日 東京夕刊

 事実なら、この夫婦は殺人罪で起訴されるでしょう。嬰児殺は、殺人罪の中でも比較的量刑の軽いイメージがある分野ですから、そう長い実刑にはならないでしょうし、情状によっては執行猶予が付くこともあり得ます。ただ、本人達には、母親の胸の中で死んでいった幼い命のこと、自分たちが摘んでしまった幾多の可能性のことを生涯忘れず、死んだ子供の代わりに人としての心を育て直してほしいものです*5

*1:尊属=自分の両親とか祖父母

*2:関西では強盗が乳児を窒息死させた未解決事件も報道されていました

*3:謄写記録は一度閲覧しただけで、ロッカーの奥深くしまったのですが、一度見ただけでも胸を締め付けるような思いと気持ち悪さを味わい、しばらく執務に差し障りがありましたし、時たまその死体の映像がフラッシュバックしてきたものです

*4:涙もろくなったのもそのあらわれかもしれません

*5:そうでも思わなければ、浮かばれないじゃないですか