光市事件判決で思ったこと

 大方の予想通り*1,広島高裁の合議体は死刑判決を出しました。舞台は再び最高裁へ戻ります。第2次上告審で,被告人・弁護団がどのような方針をとるのか,いやが上にも注目されてしまうでしょう*2。判決後に思ったことを簡単に。

会見を見て

 ところで、判決後に開かれた二つの会見を見てみました。
 ひとつは本村さんの会見*3。もう一つは安田弁護士を中心とする弁護団の会見です。
 後者を見ていて思ったことは、この大弁護団に若さがないことでした*4。元弁護団の今枝先生は比較的若かった*5ですが既に解任されています。今日の会見に臨んだ面々は、皆一様におじさまからおじいさまに近い年齢の方々。そして、これまでの事件報道でのバッシングによるものか、それとも判決を聞いてのことか、相当疲弊しておられました。生気がないといってもいいくらいに。
 若ければいいってもんでもないですが、イメージ戦略、報道対応、若い被告人との架け橋的役割を担う若い弁護人が複数いれば、報道の内容も、さらにいえば判決もずいぶん違ったかも知れないのに、と思います。弁護団みなさんが、それぞれ刑事弁護に一家言持っており、有能でかつボランティア精神あふれる篤志家的弁護人だろうと思うのですが、衆人環視のもとで行う弁護活動に対処し切れないまま、ここまで来ているように見えます。もし、背景に、若い弁護士が刑事事件の担い手にならなくなっている現状があるとすれば、それはとても憂慮すべき事態だと思います*6

掘り起こされる議論

 この事件は、「今までの人生で一度は考えたことがあるけど、深く考えずにそのまま置いておいた思考」をもう一度引っ張り出し、「よく考えてみろ」と迫ってくるものでした。そして、考えをまとめる中で、いろいろな価値や思考が衝突して、議論が掘り起こされていくのを感じます。
 たとえば、私自身、妻子を持つ男として事件の内容に慄然とし、事件の場面を想像すると嫌悪感と恐怖感、怒りが入り交じったような感じが身体の芯からわき上がってきます。ただ、その一方で、職業人として、この事件の弁護を担当するとしたとき、素朴かつ反射的な反応、感情を押さえて、どのように行動するだろうかと自問自答してしまいます。
 また、刑罰制度としての死刑は廃止されるべきと考えている一方で、本村さんが会見で投げかけていた問題*7について明確な答えが出せないでもいます。
 この判決には、法学を学ぶ中で一度は抽象的に考えたことを思い出させる力があり、思い出した議論は、数年の時を経て、今僕の頭の中でぐるぐる回っています。ゆっくりじっくりと考えて、時間をかけて頭の中を整理してみようと思いました。(書きかけですが、眠くなったのでまた後日)

*1:最高裁の引いたレールの上を走って

*2:かく言う私でも興味あります

*3:本村さんが、大変な勉強をされて刑事事件、刑事手続というもの、刑事実体法というものを理論の面からも実務の面からも深く考察していることが伝わる会見でした。被害者遺族として、あのように抑制され、バランスを意識した発言ができる、ということに驚嘆せざるを得ませんでした

*4:弁護団の名簿なんかを見たわけではなく、若い方が会見の中心部に座っておられなかっただけかも知れませんけど。そのときは戯言としてご容赦下さい。

*5:登録番号は僕よりちょっと後ですが、今枝先生には検察官時代があるので、司法研修所の期は僕より上でしょうし、法曹会の先輩ということにはなりますけど

*6:産科や小児科医の不足と同様で、全体の人数を増やしたからと言って、解決される問題でもないと思います。

*7:命が最も大切と考えられているからこそ、死刑制度がある。どうすれば死刑のような残虐な判決を下さなくてもいい社会ができるのか。。。