裁判所の和解案

 裁判は、本来個別の紛争を解決するためのものであり、社会全体のために何らかの判断・決定をするわけではありません。しかし、過去の公害訴訟やその他の集団訴訟で見られるように、個別の紛争解決の形態をとりながらもそれが社会全体に対して大きな影響力を与える場合も少なくないです。今日の東京高裁和解勧告文を見て、この事件にもそういう素地があるのかもしれない、と思いました。

東京大気汚染訴訟:和解案(要旨)
東京大気汚染訴訟で、東京高裁が22日に示した和解案の要旨は次の通り。
(前略)
 生活に欠くことのできない自動車の使用による大気汚染と健康、生活環境への影響は自動車メーカー、国、道路管理者はもとより、使用で有形無形の利益を受けてきた国民一般も等しく社会的責任を受け止めるべきだ。訴訟は損害賠償を求めるなどの形式だが、その提訴の意味は問題を国民一般に提起して、討議と解決を迫った点にあるものと理解でき、最近の都内の汚染状況の改善は、問題提起を受け改善に努力した中で実現した。提訴を原告の個人的利益のためと矮小(わいしょう)化すべきではない。以上のような基本的認識のもと和解を勧告する。当事者(原告と被告)の大所高所からの決断を希望する。
(中略)
 当裁判所は諸事情を総合考慮し、解決金額を12億円と勧告する。医療費助成制度や公害対策で特に国、首都高、都が多額の費用を要することも考慮し、支払いをメーカー7社に求める。この金額は原告及び7社に苦渋の選択を迫るだろう。しかし問題が関係者の合意で抜本的・最終的に解決することの意義を十分評価し、和解成立で実現するものの大きさを総合的見地から判断して、受け入れるよう要望するものである。
(後略)  毎日新聞 2007年6月23日 東京朝刊

ただ、あくまで裁判は個別紛争解決を目的とする作用です。大切なのは、ひとつの紛争解決(本件については和解が成立すれば、ということですが)によって得られた貴重な問題意識を広く一般に生かせるようにすることです。判決や和解は完全な解決ではなく、司法から行政・立法へと問題が投げ返されるわけです。