弁護士の追悼文集を手にとって

予兆

 今日は、午前中の裁判が早く終わって午後の法廷まで時間が空いたので、弁護士会の図書室で時間をつぶしていました。事務所では購読していない他分野の雑誌や文献類を読んでいると時間はあっという間に過ぎていきます。。。普通は。しかし、今日は先日亡くなられた中瀬先生のことから始まって、色々なことを思いめぐらせていました。法律雑誌を手にとっても頭に全く入ってこないんです。困りました。
 それで、階下にある会員室*1に行き、コーヒーなどを飲みながら新聞を読もうと思ったのです。すると、ラックの手前に一冊の本をおいてあるのが目に入りました。

文集

 それは,2年前になくなった吉田保之弁護士の追悼文集でした。吸い込まれるように手に取りました。そして,涙なしには読めない内容でした。誰もいない会員室で、ハンカチ片手にあっという間に読破してしまいました。追悼文を寄せている人たちの思い、その背後に浮かび上がる吉田弁護士の人柄と魅力。無念。わずかな間でしたが、同じ弁護士会、同じ会派に所属させて頂き、声をかけて頂けた良き先輩のことが思い出され、中瀬先生の死と重なって、胸にずしりと響きました。

個人的な思い出話

 吉田先生は神戸で初めて出逢った先輩弁護士でした。土曜日だけの就職活動で東京から来ていた僕は,トアロード法律事務所と吉田先生のおられた事務所の2件に事務所訪問をしました。同期修習生の評判では,後者事務所の最大の魅力は吉田先生の存在と言われていました*2*3。吉田先生は土曜日もばりばり仕事をしていたせいか少々お疲れ気味でしたが,魅力的な笑顔で気さくに話かけてくれました。残念ながら同じ事務所で働くことはできませんでしたが、会派が同じ筍友会であったせいもあってか,会合や裁判所ですれ違ったりするたびに一声かけて頂いていました*4。また、先生の事務所とトアロード法律事務所が近かったため、町中でも何度かお会いすることがありました。休日出勤したとき,隣の神戸大丸のデパ地下でお会いしたら「長城くん。あまり仕事しすぎないように」などと笑っておられたのが印象に残っています*5。平成14年に僕が結婚してからは,会務や夜の会合などには全く出なくなったため,吉田先生とお話しする機会も自然と減っていました。いくつかの事件で,顔を合わせたり,情報交換をさせて頂くことはありましたが,その後はほとんどお会いしないまま時が過ぎ,平成17年11月に亡くなられてしまったのです*6

哀悼

 文集で吉田先生の足跡・働きぶりを拝見すると、我が身を振り返って恥じ入るばかりです。弁護士としての経験年数だけが吉田先生に近づいていこうとする今日この頃、弁護士としての自分とその将来を考えずにはいられません。吉田先生、中瀬先生と続いたこともあって、自分が死んだらどうなるだろう、ということさえも頭をよぎります。亡くなった先生方に恥じることないよう前に進んでいこう、と書けば座りがいいのでしょうが,そんなわかりやすく読みやすい雑誌のエッセイみたいにはいきません。思考が螺旋階段をあがったりおりたりしていますが,しばらくはそんな状態に身を任せて行こうと思います。プライベートでも弁護士としても,決して「親しい」と言える間柄にまではなっていませんでしたが,僕は確かに今先生方の死を悼んでいます。極めて個人的な切り口で申し訳ありませんが,思い出語りまで。

*1:ソファーがあって新聞などがおいてある。囲碁や将棋のセットなんかもおいてあり、年配の弁護士が時々集まってはゲームをしているらしい。古き良き香の残る部屋

*2:もちろん,他の先生たちも皆さんすばらしい先生方なのですが,それにプラスして,吉田先生と一緒に仕事が出来るなら,,,と思わせる魅力があったのは間違いないです

*3:ちなみにトアロード法律事務所の魅力は,とにかく人生を楽しんでいる弁護士二人がいること。明るく楽しく自由度の高い職場であることなどでした。やはり修習生はよく見ているなと,今思い返してもそう思います。

*4:研修所同クラスの4人以外知り合いのいなかった僕にとって、これは大変有り難いことでした。

*5:人一倍仕事して活躍されていた吉田先生に言われてはこちらが恥ずかしくなってしまいますよ。。。

*6:そういえば、吉田先生の葬儀もモダン寺でした