採用取消は適切な対応か

 大分県で教員採用に関して贈収賄事件が表面化し、大分県教委は、教員採用試験で本来の合格点に達していなかったのに採用された現役教員らを特定し、その採用取消を決めたそうです。

教員採用取り消し 子供への影響不安、2学期目前…担任来ない?
               8月30日14時21分配信 産経新聞
 不正採用教員21人の採用取り消しが決まった大分県。2学期が始まるが、担任がいなくなる可能性もあり、子供や保護者への説明はどうするのかを含め、不安視する声が出ている。(中略)

 この対応、僕は否定的に見ています。
 不正はただすべきという美名があるからといって「苦渋の決断ながら英断だ」などと思っている教育委員がいるのではないかと心配です。僕には、いかにもお役所らしい四角四面な処置としか思えないです。

 埼玉県教育委員会委員長の高橋史朗・明星大教授は「処分対象が21人とは、絶句するほど多いが、不正が明らかになった限りは、やむをえない措置だ」と指摘。「一番心配なのは、教師がいなくなってしまう子供たちへの影響だ。どうやって信頼を回復するかを最優先で考える必要がある。大人の不正を中途半端にごまかせば、子供はかえって不信感を持つ。率直に話した上で、後の先生たちが必死になって子供たちにかかわり、時間がかかっても努めるしかない」と話す。

 こういう事件が起きたとき、上記のようなもっともらしい意見は多いです*1。しかし、「心配とさえ言っておけばそれで済むのか」と突っこまれたとき、二の句が継げるのか否かで説得力の違いが出てくるでしょう。上記のような抽象的な議論しかしないのであれば、大所高所からの「べき論」のためには実害の大小は問わないのかとも思います。
 しかも、実害は何か、という問いに対する答えは持っているはずなのに、それでも、あえてこういう結論を選択するのか・・・というのが正直な感想です。普通に考えたら、既に数ヶ月を担任として過ごしている教員を、突然子供達の前から放逐するという選択って可笑しいでしょう。目的のために不可欠な対応だとも思えませんし*2、その結果、生徒子供の心と記憶に不必要な傷*3を残すことになると思うのです。
 それに、不正不正っていうけれど、こういう人事採用がらみの不正事件では、当の受験者本人よりは、周りの親だとか出身校の関係者だとか採用側の人事担当者とかその上司とかが不正を働いているわけで、当人には何の事やら分からないということも十分あると思います*4。不正の温床とはずいぶん離れた末端で、あえてこんな派手な処分をして、何か大分の教育界にとっていいことあるんでしょうか。

*1:「一番心配なのは○○だ。しかし、○○だから○○しかない」という構文でもあるのか、と思うくらい良く聞きます。

*2:不正はただすべきというのはもちろん正当な目的だと思うのですね。でも、そこからはいくらでも枝分かれがある。例えば、この目的から「不正な処置で不合格にされた人を救済しなければならない」というものを導くとすれば、追加でその人達を採用するだけでいいのではないでしょうか。また、「それでは到底人件費に不足が出てしまう」という危惧があるのなら、不正に関わった採用側公務員の処分を停職だとか戒告などの甘い処分でとどめず、免職にすればいいのではないでしょうか。

*3:子供本人が傷つくこともあるでしょうけれど、先生とか目上の人という存在に対して、その子供が将来どう接していくのか、というあたりにも影響がありそうです。

*4:当の本人の認識を問わずに一律に採用取消するのだとすれば、争われた場合、何かしら問題があるような気がするのですが、、、詳しく調べたり考えたりしていないので、それ以上は勘弁して下さい。そういうわけで、本稿では政治的判断レベルの適否として雑感を述べる次第です。